教員で嬉しかったこと悲しかったこと
質問
教員生活の中で、1番嬉しかったことと1番悲しかったことを教えてください。
回答
嬉しいと楽しいと良かった
その期間のプライベートではなくて、仕事の上でってことで良いのかな?
まず、嬉しいって記憶がなくて嬉しいの意味を辞書で調べてしまいました。
嬉しい:
1 物事が自分の望み通りになって、満足であり喜ばしい。自分にとって良いことが起き、愉快で楽しい。
2 相手から受けた行為に感謝しているさま。ありがたい。かたじけない。
(参照:デジタル大辞泉)
そこで、1の意味での嬉しいはないですね。仕事の上で何かを望んでいるわけではないので。仕事上で望んでいるのは生徒の幸せであって、それは各個人しか分からないことで、きっとこれが幸せなのかな?と言う推測の元で過ごしていました。確実に各個人の幸せが理解できて、その幸福度が確認できることなんてないですからね。
早く帰れて嬉しいくらいはありますが、例えば”生徒が受験に合格して嬉しい”とか言う模範解答的な感情はないです。それって、どこを受けた?なぜ受けた?合格して本当に良かったか?と言った部分を省けばそうかもしれないけれど、合格が終着点ではないので、その段階で単純に嬉しいとは喜べないですね。経験や進んだ道がその人にとって良いものであるようにと願うだけです。
人を育てるって、結果が何年も先になって初めて分かることなので、そう簡単には喜べないです。
合格とかは、嬉しいではなくて良かったという気持ちなんじゃないかな?
2の意味では嬉しいはあります。ただし、仕事上ではないです。単純にお祝いしてもらったことは嬉しいし、プレゼントをもらったら純粋に嬉しいです。嬉しいって気持ちは今でも残っているし、今でも大切にしているものもありますよ。楽しい思いでは大事です。
これは仕事と言うよりプライベート的な意味合いが大きい気がします。もちろん良好な人間関係の上で成り立っているので、人間関係も仕事のうちと言うなら仕事かもしれませんが、どちらかと言うとプライベートなのかなぁと思います。
同じように仕事で楽しいはないけれど、休憩時間のたわいない話とかは楽しいし、人を笑わせるのも好きなので、笑ってくれたら嬉しいし。(これは純粋に嬉しい。)この楽しいって気持ちも、仕事ではないのかなぁと思っています。
で、たぶん答えてほしいのは”良かった”って気持ちの方かな?と思うのでそちらを答えますね。
教員ってふたつの役割があって、ひとつは全体に対して幅広く役に立つこと。もう一つは特定の人や物に対して自分でしかできないことをすること。
教員をしていて、全員に好かれることや、全員と上手くいくことは考えていなくて、当然お互いに好みや相性はあるので、一般的に(担任や授業で受け持った)クラスの10%は好んでくれて、5%には嫌われていて、85%はどちらでもないって割合がまぁ普通なのかなと思っています。人間なので好き嫌いがあるのが普通だし、この割合が正しいわけではないけど、全体に対して幅広く役立つにはこれくらいの割合は必要な気がします。
で、私の場合は嫌いはないけど、苦手はあるので、苦手な人にも相性の良い人と同じことをするってことはしていました。平等って難しくて、何が平等かなんて人によって解釈が違いますからね。なので、ひとりの人に何かするときは必ず他の人にも(多少違っても)同じことできないかな?は考えて、できないようであればやらないって判断です。
ここまでは良かった話ではないけれど、次の自分にしかできないことって言うのは良かった話です。
まぁ教師ってのは優秀な生徒が好きなんですよ。私も優秀な生徒を教えたいって気持ちはありますが、成績は別にして悩んでいる人と話すこともあります。単に、その人の目線で話を聞いてあげて、その人の価値感や考えをベースに意見を言うだけなんですけどね。他の先生はこれができないみたいです。
だから、自分でしか救えない生徒がいるので、そういう人たちが救われたときってのは良かったと思いますよ。
詳しく書くと個人の特定につながるので、ざっくりとこんな感じです。
悲しい
これは即答で命を失ったときです。
10代(特に10代後半)の死因は何が1位か知っていますか?
そういう出来事があると、自分だったら助けられたのか?ちゃんと相談してもらえる人になれたのか?と自問自答してしまいます。
これも詳しく書くことはできないので、1番悲しいと聞かれたら即答でこれしかないです。
仕事ではなくて、プライベートで悲しい話はありますがたぶん質問の内容が仕事の話だと思うのでこれで良いのかな?
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