プレゼント
8月の日差しが眩しい。
駅前のロータリーで車を止めて待っている。ここ数年暑い夏が繰り返される。車のエアコンを直に浴びて涼んでいるが、窓を開けるだけで熱を纏った空気が車内に流れ込んで熱気にやられそうだ。
駅の階段に目を向けると彼女がゆっくりと降りてくるところだった。車の中で待っても良かったが車を降りて出迎える。扉を開けて助手席に座らせると、すぐさま自分も乗り込み車を走らせる。
「暑いぃ。」
乗り込んだ彼女の第一声だ。
お出掛けも楽しいのだが、如何せんあまりの暑さにこの日はウインドウショッピング。ショッピングモールをぶらぶらしながらランチとゲームセンターで過ごす予定だ。
駐車場に着いて車から降りるとアスファルトの熱気が下からこみ上げてくる。出入りに時間がかかる立体駐車所より平面駐車場を選んだのだ。この辺りは彼女の心の広さに甘えている。女の子の中には一歩でも歩く距離を短くしたいと思う人もいるらしく、歩くくらいなら車で渋滞を待った方が楽と言われかねない。
駐車場を超えてショッピングモールの中に入ると冷えた空気が室内を満たしていた。
「涼しい~」
「入った瞬間の心地よさがたまらん。」
「これは長くいると冷えるな。」
1Fには飲食店が並び、その通りを歩きながらふたりでどれが食べたいかを話していた。個人的にカフェの食品サンプルを眺めるのが好きで、立ち止まって見ていたら「そんなに食べたいの?」と聞かれてしまった。
そんなぶらぶらとしたデートでゲームセンターまで到着した。
いつも一緒にやるのはクイズ系のゲーム。オンライン対戦をふたりで協力して戦うのが楽しい。ひとりでも楽しいのだが、オンラインで対戦するときは助っ人の協力プレイが大事。得意ジャンルが違うからちょうど良い。
ほど良くクイズを終えて、他のゲームを探していた。資金が豊富なときはコインゲームで大当たりを出すまでやり切ったりするのだが、今日の資金はそこそこなので大物狙いはできない。
そう思っていたとき、ふとクレーンゲーム(UFOキャッチャー)が目に止まった。かわいいクジラのぬいぐるみが獲物だ。
「いけるかな?」
「うーん。でも、かわいいね。」
彼女のその言葉でチャレンジ決定。一発では取れないので何回か手数をかけて少しずつこするように動かして何回目かにゲット。
ふたりして大喜び。
「じゃあ、これプレゼント」
「え?いらないよ。こんなのもらったら邪魔になっちゃうじゃん。」
「あ、そうか。ごめんね。」
そう言いつつ自分のベッドサイドの飾るのを想像してから、彼女の部屋に飾るのを想像した。
この日はクジラのぬいぐるみを片手にご飯を食べて帰宅した。
~~~~~~~~~~
2週間後
デートの日の朝。起きるとベッドの横で一緒に寝ているクジラの顔を見た。今日は一緒に連れて行くか。
いつものマンネリデートと言えばそうだが、好きな人との時間なんてどこで過ごしても楽しい。そういうものだと思う。
駅に着いてこの日は改札で待ち合わせた。駅の改札から出てくる彼女を迎えて、近くのカフェに入る。
「どうしたの?クジラさんなんか連れて。」
「なんか離れ難くてさ。」
「私とじゃ満足できないのかなぁ?」
そう言って彼女は笑った。
「別れようと思って。」
「え?クジラさんと?」
「いや。本当に別れようと思って。」
自分でも不思議な気持ちだった。彼女が好きな気持ちは変わらないのに、急に別れようと思った。朝に見たクジラの横顔で。
「どうして?嫌いになった?一緒にいてもつまらない?」
「そういうわけではない。」
「理由は?他に好きな人でもできたの?」
「いや違うんだ。」
彼女は理解ができないといった表情だ。それもそうだと思う。自分でもよく理解できない。
「引っ掛かったんだ。このクジラが。」
「どういうこと?」
「このクジラをプレゼントするって言ったとき、『いらない。邪魔になる。』って言ったと思うんだけど。」
「あぁ、それは言い方が悪かったかも。ごめん。でも、それが理由じゃないよね?」
「いや、それが理由と言うか・・・」
「そんな些細なことで?」
「ずっとね。いつも喜んでくれてたんだ。俺は今でも何かしてもらえると嬉しいんだ。このクジラも喜んでくれた後に、”でもどうしよう”なら良かったんだ。」
「嬉しかったよ。でも、言葉に出たのは部屋にはおけないなってことだったの。」
「そうなんだけど、付き合っているって夢から現実に覚めたのかなぁって。”冷めた”じゃなくて”覚めた”って。きっと、俺は夢の中にずっといられる人だから。」
「そんな難しく考える必要あるの?釈然としないけど。飽きたとか、好きな人ができたとかの方がしっくりくる。」
「好きな人と一緒にいるときって何してても楽しいんだよ。好きな人が何かしてくれたら嬉しいんだよ。後からいろいろ気づくこともあるけど、最初は嬉しい楽しいしか出てこないんだ。」
「だから?」
「だから、『いらない。邪魔になる。』って言葉が最初に出てきたことに引っ掛かる。」
「そんなことで別れるの?それなら私ももう良いよ。」
「そうだね。ありがとう。」
そう言って席を立った。なぜかクジラを忘れないように気にしている自分がいた。彼女のことよりクジラに気が向いた自分に気づいたとき、お互いの気持ちは微妙に離れていることに気づいた。
お店の扉を開けるときにガラスに映った自分越しにと私の後ろ姿を眺める彼女が見いた。彼女はまだ私を見てくれていた。
ふたりの時間
家を出ると大通りに向かって歩く。駅前にほど近いが家の周りの交通量は少ない。駅や線路があるので車は行き止まりになり、少しずれた踏切でいつもの渋滞が起きている。休みの日の朝は静けさを帯びたひんやりとした空気が街路を埋めている。
大通りから少しそれた小径に入ると彼の車が見えた。吸い込まれるように車に乗り込むと何もいわず彼は発信した。
しばらくして
「おはよう。」
彼が挨拶して笑顔を向ける。いつもこの微妙な間は何なんだろうと思う。彼なりのリズムがあるのだろうか?車の中は地元のFMラジオが流れている。彼はこのチャンネルを好んで聞いているらしい。
車で少し走ると彼の家に着いた。休みの日は決まって彼の家で過ごす。出かけることもあるが、出かけない日は彼の家でまったり過ごすのが習慣化されている。
たわいのない会話。レンタルDVDで見るシネマ。携帯やPCで見るSNSなど。そして、肌を寄せ合う。いつもの日常だ。
私が密かに喜んでいるのが、彼が作るご飯だ。彼は必ずランチの用意をしてくれる。ときにデリバリーだが、たいていは彼が作ってくれる。もちろん、それほど繊細なものではない。ざっくりと男の人だなぁと思うようなものばかりだ。
「今日はから揚げにする。昨日から仕込んである。」
そう言って、誇らしげに揚げ始める彼を眺めていた。こうやって彼に養ってもらうのかなぁ?そんな気持ちが沸いたりもする。
食べ終わってからゲームをして暗くなるころ彼は送ってくれる。今日も平穏な日常だった。
帰る途中の車で私は切り出した。
「来週はひとりで出かけたいんだけど良い?」
「ん?ついていっちゃだめなの?」
「ひとりが良いの。嫌?」
「嫌と言うか、気になる。」
「そうだよね。いつも一緒だもんね。急に言われたら気になるよね。やっぱり良いよ。」
「それはそれで気になるけど。」
そんな会話で途切れて家についた。
~~~~~~~~~~
次の週末も同じように彼が迎えに来ていた。もう半分一緒に生活しているようなものだ。
今日はちょっとしたプレゼントがある。こっそりカバンに忍ばせて彼と家に向かう。
いつものように過ごし、いつものように肌を重ねる。
お昼は少し贅沢をした。私が奢りたいと言ってピザを頼んだ。彼は恐縮していたがたまには私が何かしてあげたかった。
日が落ちた頃にプレゼントを渡した。誕生日プレゼント。週の間に彼の誕生日があるので、今週にするか来週にするか迷っていた。平日に時間を作って探してみた。彼がお気に入りの香水のキャンドル。
何これ?って喜びながら、ふたりでキャンドルに火を灯す。部屋の灯りを消して、揺れる炎とキャンドル越しに見つめ合った。部屋にはキャンドルの香り。これが彼の香りなのかな?そう思って大きく息を吸い込む。私の中を彼で満たしていくように。
「別れよう。」
唐突に私は切り出した。驚いたと言うより、何が起きたか分からないような無表情な彼の顔が目の前にあった。
「急に、どうして?」
別れる理由は決して嫌いになることだけではないと私は知ってしまった。
「ずっと一緒にいるから。あなたを想う時間がないの。」
「どういうこと?」
「本当は今日ゆっくりプレゼント探しをしたかったの。でも、ずっと一緒にいるのに急にひとりで過ごしたいっていったら変だよね?それでもゆっくり探したかったの。」
「でも、プレゼントくれたじゃん。」
「平日に探しに行ったの。」
「それじゃダメなの?」
「プレゼントを探す時間もプレゼントの一部だよ。あなたを想い、喜ぶ姿を想像し、何が良いか迷う。それもプレゼントの一部だし、恋愛の一部なの。」
「それは分かるよ。」
「でもね。一緒にいる時間が長くてあなたを想う時間がないの。ひとりの時にあなたのことを考える字時間がないの。だから、別れよう。」
彼はイエスとは言わない。きっと理解も追いつかない。このまま時間だけが過ぎる。
「ありがとう。」
そう言って立ち上がると、ひとりで帰れるからと言い残し彼の部屋を後にした。
ひとりで帰る夜道は少し不安で、少し明るくて、少しだけほんの少しだけ朧気だった。
親に引き裂かれた幸せと私が引き戻した未来
あれから私はずっと寝込んでいる。布団から出られないわけではない。家に引き籠っていると言いたいが、親の顔も見たくはないのでベッドから出られないでいるのだ。
外に出たい気持ちもあるのだが、誰がどう思っているのか分からない不安から閉じ籠っている。いくら誤魔化しても嘘をついても真実は伝わるものだと思った。
大人に騙され、親に裏切られ、何に頼れば良いのか分からないまま時が流れる。私はこのまま老いていくのか。そう思うと自分の人生がつまらなく感じてしまった。
ベッドで”塔の上のラプンツェル”を見ていた。彼のお気に入りのジブリ映画。私はそれを見ながら「義理の母は利益しか求めない。」ことを再確認しているだけだった。嘘をつき、子を閉じ込め、騙し、子の自由と引き換えに自己の利益を優先する。私が知っている事実だ。
部屋をのぞき込んだははが「大丈夫?」と声をかける。大丈夫と応え部屋から出る。何かしら食べないと本当に力尽きる。そう思いつつも食欲はわかない。
食卓につくと、父が「大丈夫か?」と聞いてきた。大丈夫と言い終わるか終わらないかのうちに部屋に戻る。”あなたが私の人生を壊したんだよ”そう言いたいのを我慢して定位置と化したベッドに戻る。
うつらうつらしていると彼の声が聞こえた。そう彼にも同じ質問をされたことがある。そのことを思い出したときに私が何をすべきか思い出した。
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急な連絡だった。
もう何年も連絡を取っていないのにLINEにメッセージが届いた。私自身LINEを使いこなしておらず、連絡もほとんど来ないので危うく気づかないところだった。しかもどうやって相手を探すのかも分からない私は、なぜ私にメッセージを送れるのか不思議だった。
メッセージには”会いたい”と一文だけ書かれていた。なりすましや、なにか裏があるのでは?と勘繰っては見たがそうする意味も見当たらない。とりあえず”良いよ”とだけ返してみた。その後、待ち合わせの日時と場所だけ送られてきた。
まるで推理小説の主人公になったような感覚だった。謎が解ければ御の字だが、命を落とす可能性もあるかな?不安が大きかったかが、少し楽しみ、ほんの僅かな期待を寄せていた。
約束の日までは妙にそわそわした。どうして急に会いたいと言ってきたのか、会っても良いのか、本当は別の人なのではないか、そんな不安や疑問が湧き出ていた。それでも、久しぶりに会うのにどんな格好もすれば良いか分からず、箪笥の引き出しを開けて多くはない服でコーディネートしようと頭をフル回転させた。普段はタンクトップと短パンだけで生活しているせいか、女の子と会うときの服は何が正解なのか分からなくなっていた。
前日になって新たなメッセージが届いた。
”ふたりで生まれ変わりたい”
受け取り方によっては怖い内容だ。それでも、”良いよ”と短く返した。ふたりでなら生まれ変わるのも有りだな。このときには、なんとなく覚悟を決めていた。
約束の日の朝になった。いちものタンクトップの上に淡い水色のシャツを羽織った。初夏の雰囲気に合わせた涼し気なイメージだ。下は7分丈のソフトジーンズ。
車で向かう途中にふと思いついてアイスを買った。あまりに暑いので飲み物でもと思ったが、遠い記憶を呼び起こした。たしかあの時、ふたりなのに3つのアイスがあって、手持ちで食べれるアイスと、味は確か・・・
どこに行くかも定かではないので念のためクーラーボックスとテントを積んでおいた。正直無駄になる可能性も高い。とりあえずクーラーボックスは役に立ったわけだ。
再び乗り込んだ車で駅に向かった。改札の向かう階段横のスペースに車を寄せて彼女がくるのを待つ。本当に彼女がくるのだろうか。念のため携帯を握りしめ、危なくなったら警察を呼ぼうと心に決めていた。
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”生まれ変わりたい”
あれからずっと思っていたことだった。自分の人生はやり直しがきかない。自分だけでなく人生とはそういうものだ。自分の間違いや失敗なら後悔はしない。でも違う。他人にめちゃめちゃにされた人生を続けるのが億劫になっていた。私は生まれ変わりたい。でも、彼はどうなんだろう?
彼からの”良いよ”の返事も気にかかる。この一言から何が読み取れるのか考えてみたが、あまりの短さに何も読み取れない。いや、いろんな考えが浮かぶが決定打がない。ただ、私と会うことだけは分かった。
約束の日の朝は目覚めが良かった。ここ数年で一番の目覚めだった。気持ちの良い朝とはこのことだなと思った。朝起きて食卓につく私を見て、ははも父も驚いた。「今日はおばあちゃん家に行ってくる。お届け物があるんでしょ?」そういう私をみてははも父も反応できずにいた。
”ちょっとだっけ日に当たりたくなった”と言った私に「そうか良かった。」と安堵しお届けものを用意してくれた。そのままははも父も仕事に出てしまい私はひとりになった。
久しぶりに外に出る私はこのとき初めて服に迷った。そういえば久しく外出していないのでずっと部屋着だった。ちょっとおしゃれをしたいと思った。ワンピースかなぁ?でも、どこでどうなるか分からない上に、生まれ変わるのに服装を気にするのもなんか変な気がした。それでも、彼に会うからには可愛いと思われたい気持ちが勝った。
服装を整えると玄関の扉を開け一歩外に出て振り返った。
「嘘つき。裏切者。」
私は誰もいない空虚な部屋に、見えない嘘つきと裏切者に向かってそう叫んで扉を閉めた。
外に出ると急に眩暈がした。久しぶりの日光に体がついていかない。少し酩酊するような感覚に襲われた。体が慣れるのを待つようにゆっくり歩きだした。
おばあちゃんの家は近かった。だから安心して仕事に向かったんだと思う。すぐに帰ってくるだろうと。おばあちゃんの家のインターフォンを押すと驚いたおばあちゃんが慌てて出てきた。開口一番「元気なの?やつれたんじゃない?」と私を心配してくれた。私は「元気だよ」とこたえたが、家に閉じ籠っていた子が急に訪れたことに驚き、久びりの孫の姿に安心したんだと思う。
おばあちゃんが家にあがるように促すのを断りお届け物を手渡した。「これを届けに来ただけだから。」そう言って手渡すと「ありがとう」と言うおばあちゃんに「ありがとう」と私も返す。
本当はおかしな会話なのだが、おばあちゃんは気づかなかった。お届け物を手渡した方がありがとうとは言わない。私の”ありがとう”は育ててくれてありがとうの意味だから。そう、私を育ててくれた人はもうおばあちゃんしかいない。産んでくれてありがとうではないが、育ててくれてありがとう。それは心からの感謝だった。
その後、私は駅に向かった。最後にLINEを開け”いまむかっています”とだけ打った。そして、携帯の電源を切ると駅のコインロッカーに入れた。「ありがとう。思い出も一緒にここにしまっておくね。」たぶんもう電源が入ることのない携帯に扉をゆっくり締めながら最後のお別れをした。
階段を降りると彼の車が止まっていた。何年も前なのにあのときと同じ車だった。
私を見つけると彼は軽く手を振ってくれた。あの時と同じように。そのことにホッとした私はためらいもなく助手席に体を預ける。
すっと差し出されたアイスを手に取った。
「暑いでしょ?」
このときまで外の気温も自分の体温も感じることを忘れていた。そうか、今は暑かったんだ。取り出したアイスを見て涙が出そうになった。覚えていてくれたんだ。
「ありがとう。」
そう言った私は言葉が続かなかった。
「とりあえず出すよ。」と言って彼の車は動き出した。
それは私にとって好都合だった。長い時間ここにはいられない。
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鬼が出るか蛇が出るか。
そんな面持ちで待っている時間は長かった。時間を計れば短いのだろうが、待つ時間とは長く感じるものだ。緊張すればするほど長い。
階段から降りてくる彼女がルームミラーに映った。近くではっきり見えるまで半信半疑だった。ウインドウを下げ振り返りながら手を振った。そうしながらも他に誰か潜んでいるのではないかと警戒していた。
隣のシートに座る彼女を見て抱きしめたくなった。やっぱり自分の気持ちは素直だなと感心した。分かりやすい。
だが、そうするわけにもいかず、すぐに発進したかった。手土産のアイスを差し出すとすぐに走り出した。他に誰を待つわけでもない。走り出しながらルームミラーで追跡されていないか何度も確認した。追跡車はいなかった。そう、これは推理小説ではなかった。
しばらく走る間は無言だった。自分が緊張していたことや、誰かがつけている心配をしていたからだ。緊張していたのは彼女も同じだったのかもしれない。
会ったときの抱きしめたいが、いまは抱きたいに変わっている。男は正直だ。いや、正直なのは男も女も変わらないのかもしれない。好きな人にしか興味を抱けない自分が悩ましいこともあったが、それはそれで良い気がした。この気持ちの変化は緊張が解けた合図でもあった。
「どこに行く?」
まるでデートで待ち合わせしたかのようなセリフだと自分でも思った。
「どこでも良いよ。どこを走っているの?」
「国道22号を名古屋方面に走っている。」
彼女もどこに向かうかなどは考えていなかったらしい。とりあえず走りながら”生まれ変わりたい”の真意を聞いてみた。
「”生まれ変わりたい”ってどういう意味?」
「そう思った。ただ、そう思ったの。」
「言葉通りで捉えて良いってこと?」
「そう。」
「言葉通りだと怖いよね。」
「私も怖い。でも、生まれ変わるしかないと思ったの。」
別の方法を提案するのが一般の人の意見かもしれないが、世間の一般論など当事者には通用しないことを知っている。一般論を振りかざす人は人にはそれぞれ事情があることを無視している。一般論通りに上手くいくなら誰も苦労はしない。世の中が思っているほど普通なんてものはないんだよ。
私はどこにいくか悩みながらも、生まれ変わるなら行こうと思った場所があった。
「少し寄り道するか。」
独り言のようにつぶやいた。
彼女がそっと手に触れてきた。自分も触れたいと思ったが、ここで事故るわけにはいかない。事故って生まれ変わる予定ではない。彼女は手から腕に、腕から腿に手を移動させ、最終的に袖をつかんでいた。自分も早く彼女に触れたい。その気持ちを抑えて走り続けた。
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着いた場所は熱田神宮だった。私は意外な場所にちょっと不思議な感じがした。
「どうしてここなの?」
「きしめんが食べたい。」
「何それ?」
「ラストデート。」
「それなら良いよ。良い思い出だね。」
「名古屋と言えば、きしめん、味噌煮込み、手羽先、あと何だっけ?あんかけスパか?」
「食べ物ばっかりだね。」
「ゆっくり観光したいわけではないからね。」
「どこいくか決めてあるの?」
「生まれ変わるんでしょ?それなら行こうと思った場所がある。生まれ変われるから覚悟してね。」
「良いよ。私はあなたについていくと決めたから。一緒にどこへでも。」
その前に腹ごしらえと伝え、まずは参拝。熱田神宮の本宮で手を合わせる。
「草薙剣がここには保管されているんだよ。」
私は良く知らなかった。
「くさなぎのつるぎ?」
「そう三種の神器のひとつ。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
天叢雲剣(あまのむらぐものつるぎ)の別名で草薙剣、草那藝之大刀とも呼ばれ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき尾の中から得た剣で、天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉献されたもの。のちに景行天皇皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの剣を伊勢斎宮の倭姫(やまとひめ)から賜り、相模で国造(くにのみやつこ)にだまされて野火の難にあったとき、この剣で草を薙ぎ、向かい火をつけて難を逃れたという伝説を持つ。
そんな話を彼は何の資料を見ることなく話してくれる。
「今から伏魔殿に向かうことになるから、第六天魔王の化身になろうかと思って。」
「何の話?」
「第六天魔王信長、織田信長のこと。伏魔殿は魔物のひそんでいる殿堂って意味で、中国の伝奇小説『水滸伝』に出てくる建物の名前だったり、英国の叙情詩『失楽園』に出てくる都市の名前だったりする。まぁ伏魔殿というよりは、生まれ変わるから黄泉の国に行くんだけどね。生まれ変わるときに悪魔に喰われるかもしれないよ。だから無事生まれ変わるために天魔となって黄泉の国に行くの。」
私には良く分からない話だったけど、織田信長が桶狭間の戦いの前に熱田神宮を参拝した話や、急な悪天候で奇襲が成功したと言われているけれど、諸説ある中に織田信長が奇襲に成功した理由のひとつに悪天候で道に迷ってたまたま敵の総本山に突入したのではないかと言う話は面白かった。
彼が望むままにきしめんをふたりで分け合い熱田神宮を後にした。ふたりで食べた金鯱きしめんがやけに美味しく感じた。
~~~~~~~~~~
熱田神宮を出て伊勢神宮に向かう。特に神宮巡りをしたいわけではない。その先に黄泉の国があるから。理由はただそれだけだ。
彼女はいく先も聞かず隣に座っている。国道23号をただひたすら進む。
走っているとまた彼女が手に触れて来て、腕に移り、最後に腿に落ち着いた。信号で止まった時に、彼女は私の手を握り、手首をつかみ、彼女の頬へ当て、胸へと導いた。柔らかい感触の後、彼女は私の手を胸から下へスライドさせ、彼女の柔らかい腹部を通過し下腹部で止まった。
「しよっ」
彼女がそう言ってから信号が変わった。それ以降会話はなかった。
国道沿いを走ると休めるところがいくつか出てくる。その中の一つに入っていた。部屋に入るとベッドに腰掛けて彼女の動きに任せていたら、服を脱ぐなり布団に潜り込んだ。私も彼女に倣った。
ふたり何も言葉にすることなく、ただお互いの肌の感触を確かめていた。ただ肌を寄せ、互いの気持ちを確認するように、時間をかけただただ肌を重ねていた。
どこまでも満たされない想い、いつまでも満たされない気持ち。それでも、満たされないままふたりは次の目的地へと向かう。
「また、しよう。」
その彼女の言葉に次は来世かな?と次の生に思いを馳せた。
熱田神宮から伊勢神宮を目指すなんて大学駅伝くらいなものだと思っていた。距離としては長いようで短かった。
車で走り始めると今度は互いに手を繋いでいた。繋いだ手をほどき、時に彼女が腕をつかみ、時に彼女の頬のなぞり、互いの体を触れ合った。お互い触れたい場所に触れられるのは良い関係だからだ。
パーキングから伊勢神宮の内宮に向かう。五十鈴川沿いを歩いて、途中からおかげ横丁へ向かった。おかげ横丁はグルっと一回りするだけだった。生まれ変わりに来たのに、なぜか食べ歩きデートのような行程だ。
「さっき抹茶のお店があったよ!」
そう言う彼女を見て本当にただのデートではないかと錯覚してします。次に通ったらねと言ってうどん屋に入る。
「きしめんの次はうどんなの?」
そうなげかける彼女の疑問ももっともだ。
「オレは伊勢うどんが好きなの。つゆが絡まる感じが好きなの。」
よく考えたら、きしめん食べずに伊勢うどんだけでも良かったなと反省している自分に笑いがこみ上げてきた。何をしに来たんだか。
一緒に食べる彼女を見ると同じように笑っている。可笑しなデートだ。そして楽しいデートだ。
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鳥居をくぐり宇治橋から五十鈴川を眺める。川を上から見るのが気持ち良い。吹き抜ける風がわずかに水を含み肌を湿らせ体温を下げる。
広い砂利道を御正宮に向けて歩くと参集殿がある。休憩所になっており休憩所から舞台が見えるようになっている。彼は足を止めると舞台をじっと見ている。彼曰く、「一度だけここの舞台で舞ったことがあるんだよねぇ。懐かしい。」そうだ。ここで踊るなんて緊張するんじゃないかと思ったが、見ている人が一般人なら上手い下手が分からないから気にならないって。大会で審査される方がよほど緊張するらしい。舞台横で待つ時間の寒かった記憶が一番強いと言ったことに彼っぽさを感じた。
御正宮に向けて最後の階段を上ると参拝所が待ち構えている。私たちも手を合わせるのだが、何を願えば良いのかと疑問に思った。無事生まれ変われますように?そう願うべきなのか迷い、結局手を合わせて心で呟いたのは「彼に会えて良かったです。」と言う言葉だった。
「伊勢神宮の正式名称は知ってる?」
急な彼からの問題だった。
「なんか小難しい名称でもあるんでしょ?すごーい長いやつ。」
「外れです。答えは神宮。単に神宮だと他の神宮と区別できないから通称が伊勢神宮。神社本庁の本宗だからね」
歩きながら神楽殿の横を通った時もここに入ったことがあると言っていた。彼に武芸の嗜みがあることは知っている。知らない私はそんな簡単に入ることができるものなのか良く分からなかったが、私が知らない世界を持っている彼が好きだと思った。
もう一度、宇治橋を渡り鳥居をくぐると彼が急に立ち止まって、私を見た。
「ここからが本番だけど、覚悟は良い?」
そう言われて思い出した。そう、今日は普通のデートではなかった。
駅のコインロッカーにおいてきた携帯、駐車場に止めた車。それらはどうなるのかな?そんな疑問が出て来て、自分の心配より先に出てくるのは些細なことなんだと気づいた。
「良いよ。」
覚悟がこもった返事ではなく、ただ彼と一緒にいられる幸せだけでいっぱいだった。きっと来世は幸せだ。
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ふたりの旅路は長かった。当然、生まれ変わるための旅路だ。
長い旅路でお互いの過去と未来を話した。
「わたし、信じる人を間違えたの。」
「今は俺が隣にいるよ。」
「今はね。でも、最初からあなただけを信じれば良かった。」
「まぁ、俺を信じるところは間違ってないよ。」
「わたしの親は情弱なの。情報弱者であり、感情弱者でもあるの。」
父親は情報弱者だった。自ら考える力を持たず、世間の顔色だけを窺い、娘の幸せよりも世間体を優先した。個人の幸せはその個人特有のもので、他人が干渉できないことを理解していない。ネットで溢れている無責任な当たり前に押し流されて生きている残念な生き物。そして、感情弱者。自分の思い通りにならなければ怒り狂い、人の意見を聞くことができず。ほんの数時間先のことも予想せず、ただ感情に任せてすべてを崩してしまう。娘の幸せを脅迫のネタにした。私にとって消えることのない心の傷。
何が正しくて、何をすべきか分からない。分かったとしても感情が邪魔して実行できない。そう、残念な生き物。
悪意ある人が発信して、悪意ある人が受け止めて、悪意ある人が広めている。これが現代の情報社会の構造だから。善意ある人は考えて発信するから悪意の中に埋もれて見えづらくなっている。悪意ある人ほど正義を盾にして発信を続ける。
「”ごしんじゅつ”が大事だね。」
「護身術?」
「護心術。身を守る術を学ぶのも大事だけれど、心を守る術も必要だよ。信頼できない人もいれば、裏切る人もいるからね。無視するのもひとつの方法だし、距離を置くのもひとつの方法。」
「じゃあ今回の方法は心を守る方法としてはあっているんだ?」
「ひとつの方法ではある。」
「私は恨んではいないの。ただ、悲しくて悔しいだけ。晴れない気持ちと、癒えない傷を抱えて生きることが苦しくて逃げ出したいだけ。もし、私を救えるとしたらあなただけだから。」
「誰も救ってくれないの?」
「救うふりはしてくれるよ。でも、分かるのそれがポーズでしかないって。」
「バレるよね。頑張ったフリ、努力したフリ、目の前の問題が一つも解決しないのに、頑張った努力したと言う人。フリだけだからバレるし信頼もしてもらえないし、手を貸してももらえない。」
「自分の考えを持たず生きているとそうなるのかな?人と違った意見だって、もともとは誰かの受け売りだろうけれど、それでも、なにもかもみんなと同じじゃないとおかしいと感じる人って変だよ。」
「自分がすべて悪いのに、他人のせいにしたり、厄払いで解決しようと思っているうちは変わらないね。俺の場合、自分のことを祈願することないもん。願うのはいつも大切な人の、好きな人の幸せだけ。それは自分の努力だけでは変えられないから。」
「自分の幸せなために一つの大きな選択をした私は立派だね。」
「悔いても一生に一度の人生、前だけ見て生きるのも一生に一度の人生。だからどう生きる?ってことだね。」
そんな話をしながら数十時間を歩き続けた。疲れてはいるが、眠くはならない。
たどり着いた場所は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・ 那智山青岸渡寺の3社1寺)だった。
順に参拝し終えたときに疲れて寝てしまった。普通ならここまで気持ちが持たなかったはずだ。彼と一緒だから・・・。
睡魔に誘われ夢の世界に入ると母が待っていた。私の母。何も言わず頭を撫でてくれた。母に抱かれ頭を撫でられているうちに、夢の中の私もさらに寝てしまいそうだった。
”あの人は私に会ったらなんて言うのでしょうね?”
あの人とは父のことだ。そう、母に会ってなんて言うつもりだろう。気にはなったがもうどうでも良かった。このまま母と過ごせれば良いと思った。
彼を探した。私の夢の中に彼はいるのか?
”行きなさい。彼の元へ。”
母の声がする。
”あなたが選んだ人でしょ?彼は裏切らない。たとえ死に別れたとしても彼は裏切らない。あなたが選んだ人はそういう人です。”
ゆっくり目を開けると私は彼の肩に身を預けて寝ていた。彼はずっと起きていた。
覚悟を決めたその表情を見つめて私は言った。
「ここが黄泉の国なの?」
「そうだよ。どうやって生まれ変わろう?」
「戻ろう。ここが黄泉の国ならもう生まれだけで良いはずだよ。」
「それで良いの?」
「良いよ。あなたと一緒だもん。これから、ずっと。」
「それがお望みなら、叶えてしんぜよう。」
ふたりでゆっくりと来た道を戻り始めた。ただし、帰る場所はない。新しくふたりで始まる人生だ。
「来るときは参道だったのに、帰るときは産道になっちゃったね。」
彼の言葉遊びが面白い。
「良いんじゃない?ここまで大変だったよね?」
「んー。はたから見ればいろんなものを失って、苦しくてみっともない人生かもしれないけれど、ひとりの女性を好きになって、その人だけに思い込めて選んだ人生はかっこ悪くて気持ちが良いよ。」
「かっこ良いよ。だから、プロポーズの予約が欲しい。私を選ぶって約束して。」
「この道を戻ったら、伊勢から鳥羽に行ってフェリーに乗ろう。フェリーで渡った先で結婚式をあげよう。着いたらすぐに。」
「すぐに?良いの?」
「あり金をはたいて式をあげる。生まれるときはみんな何も持たずに生れ落ちるんだよ。」
「良いよ。約束。」
手を繋ぎ直し、互いにうなずき合ったふたりはふたりの人生を歩き始める。
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