トロッコ問題
イラスト
トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が縛られて横たわり、分岐点にレバーを握る人物の姿
質問
このまま進めば5人が線路上に横たわっている。あなたがレバーを引けば1人が横たわっているだけの道になる。トロッコにブレーキはついていない。あなたはレバーを引きますか、そのままにしますか
選択肢
「何もせずに5人が死ぬ運命」と「自分でレバーを引いて1人が死ぬ運命」
あなたは小中学生には早いと思いますか?
トロッコ問題は知っていました。
うちの子は一番上が7歳ですが、それでも早いと思いません。
特に今回は中学1,2年生と小学5,6年生です。まったくもって早くないです。
これって子供にどう向き合うか親の資質を問われています。
線路に人がいて列車がどちらかを選ぶって選択だから批判するのでしょ?
最近のニュースで、線路の上の人を助けて表彰されるニュースがあるけど、線路に人がふたりいて、ひとりしか助けられなかったら報道も表彰もしないのかな?ひとりでも助けたら表彰したいよね?と言うか良いことだよね?
この問題の答えって日本人のほとんどは何もしないと答えます。つまり日本人って自分が関わらなければ、何人犠牲になっても仕方がないと思っている民族ってことなんだけど、そのことを理解しているのかな?
これって答えたくない質問だし、正解がないけれど、だからこそ考える必要はあるんじゃないかな?
トロッコ問題は架空の質問だから考えることができる。トロッコ問題が実際に起きることはまずないけど、答えたくない質問や正解のない問題に取り組まなければいけないことって日常に存在するのにね。
ちなみに選挙の投票率が低いこともこういった日本人の心理の表れですね。
何かを自分で決めるより、責任を他人に任せ傍観するだけで、結果を批判する。
保護者は何が不安なの?
不安って漠然としてますね。
何が問題とか、こういう危険性があるとか具体性に欠けますね。
不安な保護者って、子供と向き合えないんじゃないかな?
当たり障りのない、誰しもが正解だと思うような答えが前もってあるような質問しか答えられないんじゃないかな?
別に子供の話を聞いてあげて、おかしなところや間違ったこと、疑問の余地があるところを教えてあげるだけでいいのにね。
子供の教えるって学校だけが行うものではないから、自分で教えればいいのに。特に道徳ってわざわざ学校だけが教えなきゃいけないものではないでしょ。なにもかも学校に丸投げで、自分に合わないと批判するのであればそちらの方が問題ですね。
子供が自分の思っている答えや自分の想像するものと違う行動をとると、子供を批判する保護者っているけど、それを受け入れながら一緒に考えるのが保護者の役割だと思うけどね。
この件で見えた学校の実態
今回問題なのは謝罪していること。
確認不足を謝っているけど、では確認していたら謝罪しなかったのか?
答えはNOです。どこか謝罪する内容を決めて必ず謝ります。
スクールカウンセラーという専門家の授業を専門でもない校長が謝っていることが問題。
校長が謝罪するのは当然と思っている人もいると思うけど、謝罪することが前提だから校長が謝罪することが当然に思えるの。
校長が内容を確認するって専門家が言っていることの何を確認するの?
言っちゃあ何だけど校長ってほとんどの人が素人だよ。
何のための専門家の授業なんだか。
しかもこの授業、
「選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いで、トロッコ問題で回答は求めなかった」
としっかり配慮され、目的も明確にされているんだよ。
スクールカウンセラーの言葉
私がスクールカウンセラーと話した中で一番記憶に残っている言葉があります。
「助けてあげたいのに、苦しい時は体調が悪いと言って休みなさいとしか言えない。」
これなんの話かって言うと、不登校の生徒がいて、本当は本人の気持ちを受け入れて休ませたいのに、根本的な解決を目指したいのに、(学校や保護者が)その理由を受け付けてくれないから仮病を使って休みなさいって言うことしかできないってスクールカウンセラーさんが苦しんでいた話。
不登校の生徒って不登校になる理由があるんだよ。それを受け入れられない保護者や学校の存在があって、学校(または教育委員会)に雇われている身だから学校の間違いをはっきり言うことができず、助けてあげるには仮病で休ませるしか方法がないってこと。
これが現実だよ。
今回の話をトロッコ問題に例えると
イラスト
トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が縛られて横たわりその隣に人の姿、分岐点にレバーを握る人物の姿
質問
このまま進めば1人が線路上に横たわっている。あなたがレバーを引けば5人が横たわっているだけの道になる。トロッコにブレーキはついていない。1人が線路上に横たわっている隣でレバーを引けと叫んでいます。あなたはレバーを引きますか、そのままにしますか
選択肢
「何もせずに1人が死ぬ運命」と「自分でレバーを引いて5人が死ぬ運命」
答え「自分でレバーを引いて5人が死ぬ運命」です。
トロッコ問題で例えるとちょっと問題が大きくなってしまいますがこんな感じです。
学校や教育委員会ってところはクレームや批判に対して必ず何らかの対処をとります。これは絶対です。何もしないとクレームや批判が治まらないから絶対何かしらの対処をします。その対処が適切かどうかではなくクレームや批判が治まるかが重要です。
だから今回も批判があった段階で対処しました。それだけです。
批判をした人がどれくらいいたかは分かりません。ただ、学ぶ機会を失った人が数多くいることは事実です。
今回もどちらが正しいとは言えません。だからと言って今回の授業が間違っているとは思えません。今回の授業を物事を考える授業ととらえることができると良いですね。
専門家であるスクールカウンセラーもショックだと思います。心理の専門家として配慮しながら行った教育を批判されて。今後この内容が行えなかったら、この授業は間違いだったと言われるのと同じですから。
たまに学校ってなんでそんな結論になるのって思うことありません?これってどうしたらクレームが鳴りやむかを優先に考えて判断されているからなんですよ。
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