対応
神戸の教員いじめ問題のニュースを見て、
「子供たちがショックを受けている。」
「家庭科室を改装する。」
この内容を見て不思議に思った。
そうそう教育委員会って常に子供たちのことを考えていますってポーズをとらなきゃいけないですからね。
子供たちがショックを受けているってなんだろうと思う。
うちの子だったらショックを受けるかなぁって疑問であるとともに、親は子どもにどう話しているのかなって思う。
子供たちのために何か対応しましたってパターンに持って行きたいのは分かるけど、家庭科室を改装して何か解決するのかな?税金の無駄遣いじゃないか?
本当の問題点は
教員間のいじめって子供のいじめと同じで周りが知っていて止めないところに問題があるんだよ。
子供たちのいじめっていじめてる子もいじめらている子も、周囲の子たちは知っていて止めないから、これでいいんだってなって続くんだけど。
教員のいじめも同じで周囲は薄々どころか、しっかり分かっていて我関せずで見て見ぬふりしていること。
そして、本来止めるべきはずの管理職(校長、教頭)が助長(いじめに積極的参加や見て見ぬふりなどを)しているから起こるんだよ。
だいたいこんなはっきりといじめが起きているのに周囲が分からないわけないじゃん。
しかも、管理職が止めてれば止まるよ。絶対。
この部分に触れることなく家庭科室を改装されてもね。
で、この学校の他の教員たちの意見は?
もちろん口止めですよね?
都合が悪いことを話されたら困りますからね。
こんなこと言われたなぁ
いじめをされたら(俺に)相談するって。
子供からすると相談相手って大事で、間違った相手に相談すると、
何も対応してくれない人、
何もしてくれないのに情報だけ流れてしまう人、
望んでないのに積極的に関わってきて大事になってしまう人、
などなどうまくいかないって。
結果、いじめが悪化したり、いじめの種類が変わったり、余計苦しい思いをする。
その点、俺の場合は大事にしないで、目の前でいじめがあれば、止めてくれるし、守ってくれるし、角を立てずに立ち回ってくれるからって。
一言でいうなら、うまくやってくれるってこと。ことを治めるのがうまいんだって。
個人的にこれをするにはスタンドプレーになるんだけどね。自己責任で助けるしかないから。
俺は教員が信用できないって知っているから、基本的に相談も報告もしなかった。だって無責任な(正確には責任転嫁のための)行動しかしないから。
言わなきゃ解決しないとき、絶対に協力がいるとき、信頼して任せるしかないときなどは報告したし、協力をお願いしたよ。そんときゃ頭下げてお願いすりゃいいし、助けを求めればいい。子供を助けることが最優先だよ。
ある意味で孤独だったなぁ。孤独だから人を守りながら、自分で自分を守るしかなかったなぁ。守って欲しかったなぁ。
ほとんどの教員は責任回避のために上司(主任)に報告するのね。そうすると子供が望んでなくても絶対大事になるのね。だからいじめって相談されないのに、教員は責任を取りたくないからほぼ間違いなく上司(主任)に報告して大事にして子供の居場所を奪うのね。
今はもっとシンプルで、何があっても主任に報告します、主任は管理職に報告します、管理職は教育委員会に報告します。教育委員会が校長に指示します、校長が職員に指示します、職員は指示を守ります。これで誰も責任を取らなくて済みます。これで問題が起きず、起きても解決するなら良いけどね。問題を隠蔽する方にこのシステムを使ってなきゃいいけど。
子供を守るには子供のルールや世界を知る必要があるのにね。子供を守る気がなく、自分が責任を取らないためにはこのシステムは正しいでしょうね。そういった人ほど教員では出世します。
もちろん協力して一緒に解決してくれる組織になっていれば良いのだけれど、今はどうなんだろうね。いじめに関しては世間の認識が変わったからかなりマシになった方かな。
でも、教員の体質自体は変わってないなぁ。
いじめは良くない。これは当たり前。子供の居場所を守りつつどう解決するかがカギなのよ。
教員は自分の居場所を守る方が大事なんだろうけどね。
もう苦しんでいる子たちを助けることもないのかなぁと思う反面、また別の苦しんでいる人たちを助けて過ごすんだろうなぁとも思う。
人に嘘をつくの嫌いだし、人を傷つけるのも嫌いだし。好きであるほど大切にするし。
子供には嘘をつけない。純粋な子なら尚更、嘘をつくことも、騙すことも出来ない。大人でも純粋な人、真面目な人、誠実な人には嘘をつけないよ。
結局、自分は助ける側に立って生きるのが性にあってる。
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